シャツ一枚脱いで飛び出す二月尽

 

アメブロの日記

暖かい日でした(28日)

お昼前にウォーリングにでかけてみると
汗ばんできますし 日差しもきつい

午後はケータイのショップを2店も回って
ちょっと(精神的に)疲れた

電話なんて持ちたくないのに
持って欲しいと言われたら持たざるを得ないわな
愚痴ってどうするかと思いながら
世間の奴らはアホばっかや
と嘯いてカツオ食う

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九月が尽きて十月が来る

九月下旬から十月へと
あっという間に時間が過ぎる

お天気がすぐれない日が続いた月末に(朔日も)
ライブカメラから三日続けてムーミン島を撮ってみた

少し部屋が湿気ったままだったが
月の初めに旅に出る
旅と言っても車で数十キロほどを走ったところへと
母を連れて(連れられて が正しい)泊まりに行くだけである


十月もあらよあらよと四日なり

そんなわけで、賢島で撮った写真やら集合写真やらは
散り散りバラバラで
みんなが思うように撮っただけである

宿で食べたおゆうはんや 朝ごはんは写真に撮っていない
どうもひとつのお決まりのように写真をパチパチするのに
とても反発を覚えるので
わかっているけど撮らなかったのだろう

おゆうはんにはお刺身がたくさん出た
私よりもはるかに大柄な弟が二人分ですか?と尋ねたくらいの豪華さであった

アカカマス(あらはだ)の塩焼き
ハモの湯引き、揚げもの
アカカマス、マグロなどの刺身、貝、エビ・・・
そうそう 忘れてはいけない でっかいアワビ

生きているものを卓上コンロの土鍋て焼いて
火が消えた頃が柔らかくて食べごろだった
市内の店で食べればに二三千円というところだろうか

食事料金だけで宿泊料金(1万円余り)に迫る勢いだった

🍀

2日は半島をぶらりと走り回って
海産物のお土産を買って

まつもと で鰻を食べて帰ってきた


たくさん食べました

2キロも体重が増えてしまったまま戻らなくなっている

3日の夜にムスメから届いたLINEは餃子でした

続きは気まぐれということにしておく

おぼんは少しだけドタバタしたけど


8月10日に図書館で一冊借りて
二冊の文庫を買う

三冊ともが堀川恵子さんのもので

  • 裁かれた命
  • チンチン電車と女学生
  • 原爆供養塔

その中から

  • 原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年

は2週間の期限があるので最初に読み始める

感想は別日記に書いておく


お盆は出勤混じりですので
合間に墓参りを済ませて

大文字の夜は京都に行き
あくる日に娘夫婦のクルマで
家まで送り届けてもらう

(12日)金曜日

仕事に行って
夜は麻婆豆腐

(13日)土曜日

お昼に伊勢うどんを食べてから
お墓にお参りして
お夕飯を家でよばれてから帰る

(14日と15日)

仕事に行って

(16日と17日)

京都へお墓参り
16日 京都駅前ポルタのハゲ天で天丼

大文字は夕方から土砂降りで
雨に霞んで東山の大は見えず
鳥居だけが見えました

17日の午後
ムスメ夫婦に乗せてもらって家まで
カツオのたたきと高菜巻き(サバ寿司)を買って家でくつろぐ

19日の夕刻
駅を降りて稲刈りの田んぼを発見
少し早いね こんなもんだろうかね

 

宮下奈都 羊と鋼の森


大型連休はどこ吹く風なのですが
そういう騒ぎから一歩も二歩も離れて暮らすようになって
かれこれ十年以上が過ぎます

ストレス社会や階級制度、権力と闘いながら共存してきた暮らしに終止符を打って
周りからは愚か者、怠けもの、グウタラ、弱虫、アホと思われながら
ガラリと変わった暮らしとそのスタイルからむかしを見てみると
あの時代は間違っていた面が多かったと思う

その間違いに育てられてあの齢まで走ったのことは
仕方がなかったことだったとしても
本来私が歩む道ではなかったのだと思い
人生が背負った運命に背いて生きようとしたことを
反省しなくてはならない

だから、子供たちやその子供たちに伝えていかねばならないと
深く深く省みながら思う。

♣♣

宮下奈都さんの本をツマに買ってきてもらいました

飛び石はそのまま跳びながらとはいかず
適度に踏み外してみんなが休んでいる時にも出勤して
3日も出かけていくけども
午後はお休みにしてもらった

お休みはこれっぽっちも欲しくないけど
本を買ったので
静かに何かを考えたかったのかもしれない

♣♣

宮下奈都さんは
ドラマチックな物語をつくり上げるタイプの人じゃないみたいですが
でもあの詩篇のようなエッセイは素敵で
近頃はそういう人に出会えない

ちっとも実利を睨んでいないような小説なところが
もしそうだったらこういう人も好きな人に抱いていたい思うのです

これから読みます