二十三日に母を訪ねると ウドがあり 貰ってくる
酢味噌で食べる
悠ちゃんの送りで出かけるついでに イオンに立ち寄った
オムライスまで食べてしまった(麒麟山も買ったのだった)
減塩な日々は特別な工夫もせず
食べたい物を塩抜きで食べてたり
ときには餃子もする
体重がジリッと増えている
このまま 京都に出かけると 太って帰ってくることになるが・・
雨があがったら出かけよう
GW は大勢の人でごった返すので 部屋に篭ることになる
➤ 穀雨篇 ✢ 京都日記・余韻 二、長生きは 理想か
前回、長生きは理想か・・と書いた
変化のない日々が続くと 呪文のように「長生きは理想か」と言う問いかけが湧き出る
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詰まらない日々なのか平穏安泰の日々かを、不定期に 京都を訪ねるたびに おそらく何も変化のないことで安心するわけでも納得するわけでもなく 時間をつぶやして引き上げてくる
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一方、こちらでは 母の様子が弟から飛び込む
少し前に下血がって『いよいよその時を』と覚悟もしたのだが、しかし 近頃元気になって畑仕事に出ているらしく、そのことを弟は心配して 吐き出すところがないからだろう 心配な日常を苦言にして電話をよこして、「痴呆の症状の現れではないか」と怒るのは、心配であり、不安であり諦めである
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人類の信仰がはるかに非科学的であった時代「人がとても美しく生きること」は自惚れでもなく束縛でもなく普通な姿であったのだが、それが 文明の進化と共に 求めるものが欲望に変化し 争いが起こり 奪い合いに発展してゆく
その一方で 人間が生きている姿を見れば・・ 人間自身が振り返り感謝をする心も持ち続け 信仰や宗教なども芽生え 人類の醜い姿と対立しながら 生きることや命を守ることの崇高さを失わずに地球上で暮らしていている
けれども、もしかしたら これからの未来が間違った進化をして崩れ去る世紀がくるのかもしれない・・と思うことはある